By Koutetsu An

「貧しい国」からの乗客

真っ赤な絨毯の上を歩いていくと、ピカピカに磨かれた飛行機を背景に自分専用のパイロットと軽く握手をする。そのまま、階段を登ると機内ではフライトアテンダントが笑顔で出迎えてくれる。離陸までの時間は、キンキンに冷えたシャンパンで喉を濡らしておき、自分の好きなタイミングで綺麗に盛り付けられた食事を楽しむ。そのまま眠気に身を委ねて、目を覚ます頃には目的地に到着している。それが、プライベートジェット機やチャーター機の世界。僕も以前はニューヨークでこんな、一見華やかな世界に副操縦士として身を置いていた時期があった。学生の頃から、パイロットとしてニューヨークを拠点に飛ぶというのは一つの大きな目標だった。これは、その目標も無事に達成して仕事にも大分慣れてきた頃の話。

プライベートチャーター機

プライベートチャーター機内から見る「レッドカーペット」

この日は、ニューヨークとワシントンDCを往復するだけの、飛行時間も片道1時間と、ごく簡単なフライトだった。ただし、「簡単なフライト」の時ほど予想外な出来事に遭遇しがち、ということを学んだのはこの日よりもずっと後のことで、大きな目標を達成したばかりのこの頃の僕には、そんなことは全く見えていなかったと思う。僕はいつも通り自分の車で、お気に入りの音楽を大音量で聴きながら上機嫌で空港に向かっていた。

そんな上機嫌な僕をよそに、空港の駐車場に車を停めてからターミナルまで歩いているといつもと違う空気を感じる。何処か物々しく、人も警備員も多い。建物の入り口付近に差し掛かると、僕の太ももと、どちらが太いのかわからない程の腕で、一人の警備員が我が道を阻んでくる。

「今日は保安上の理由で、ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」

「あの、xxx便のクルーで2時間後の出発予定なんですけど・・・」

「乗員バッジは?」一瞬、僕は出発場所が変更になったのかと思ったが、取り敢えずバッジだけ見せて、通れないと言われたら会社に連絡して今後の対策を聞こうと思っていた。すると、彼の持っていた書類と僕の乗員バッジを確認してから無線で何やらやり取りをした後、

「オッケー」と、だけ軽く言ってさっきまで我が道を阻んでいた太い腕が僕の視界から消え、「通って良し」の目線を頂く。あれ?関係者以外は通してくれないと思ったのに、なんで通れたのだろう?と思いながらも、よくわからないまま、カウンターにフライトの書類を取りに行く。するとニコニコした機長がこちらに手を振っている。

「昨日、会社から連絡いった?」

「いえ、何も来てないです・・・」

「今日のお客さん誰か知ってる?」

「いえ」

「xxx国の大統領だって」

「へぇ~、大統領ですか~。そりゃ警備が多いわけですね」って、おい。そんな大切な情報は是非とも事前に知らせてほしかった。でも、何故自分の国の大統領専用機みたいのを使わないんだろうと疑問に思い機長に聞いてみる。すると、

「さぁな。きっと国が貧しくて買えないんだろう」と。偏見に寄りかかった返答な気がしたが同時に納得もできる。

「さぁ、今日はどんな小さなミスも許されないぞ」

「そうですね・・・」なんて会話をしていると、機長が自分の携帯に入ってきたメッセージを確認する。

「会社から連絡で『クルーは全員機内で待機せよ』だそうだ」この会社のパイロットは通常飛行機の出口付近やターミナル内で自己紹介をしたり、軽くお客さんと挨拶するのが決まりになっていた。

「よく分からないけど、とりあえず言われた様にしてみるか」と、機長。

機内で待つこと、30分位だろうか。機長がコックピットの窓越しから、こちらに向かってくるパトカーや黒塗りの車両に気が付く。

「お、大統領のお出ましみたいだな。ん?」

「どうしたんですか?」

「凄い数の車両だぞ」確かに、最初はポツポツと現れていた2-3台の車両が、最終的には10台以上になっていた。

「何か映画みたいですね」

「だな・・・」全車両が機体に横付けされると同時に、数人が足早に機体へと乗り込んでくる。取り敢えず、入り口付近でその全員と軽く握手をする。ん?ってことは、たった今僕はダイトウリョウさんと握手をしてしまったのか。でも、正直彼の国の知識が殆どない僕は、残念ながら誰が大統領だったのかさえ分からない・・・ただ、よくニュースなどでその国名を聞いても、貧困や治安に関する内容が多かった気がした。こうなると知っていたら、その国の時事ネタをチェックしておけば良かった、などとくだらないことを考えている間にさっきまでいたパトカーやら黒塗りの車はどんどん機体の周りから離れていく。そして、あっという間に僕らは大統領を乗せてニューヨークの街並みを背に離陸する。

様々な人たちや物、エネルギーの集まる街ニューヨーク

ワシントンDCまでのフライトはこれといったトラブルもなく、時より客室から聞こえてくるお客さんたちの笑い声が僕と機長を安心させてくれる。そんな1時間弱のフライトはあっという間で、滑走路に着陸した瞬間に遠くの方でピカピカと沢山の赤と青のライトを光らせている警察車両や警備車両がすぐに目に入る。ただし、ここはワシントンDC、アメリカの政治の中枢。警備の量はニューヨークとは桁違いだった。自分たちの駐機予定のゲートに近くなればなるほどそれを実感させられる。ざっと見積もっても30台はいる・・・そして、機体が駐機場にゆっくり止まると、気が付けば僕らは一斉にその警察車両に囲まれていた。そして、お客さんたちは足早に空港を後にした。

そして、僕らはお客さん達が戻ってくるまでの数時間、暫しの休憩に入る。お客さんたちが戻る時間は未定とのことだったが、大体4時間前後を見積もってくれと言われていた。フライトアテンダントが軽く機内清掃を済ませるのを待ってから、僕らは空港のプライベートジェットのラウンジに向かうバスに乗り込む。バスの中では、機長とフライトアテンダントが、今の内に何か外に食事を取りに行こうと相談している。フライトアテンダントがネットで空港近くにタイ料理を見つけたからそこに行かないかと、提案。初めは、もっと軽く食べて出てこれるものがよくないか?と言っていた機長だが、最終的にはフライトアテンダントの意見が採用され、結局タイ料理屋に行くことに。この時の、機長の意見は全くもって正しかったのだが、この時は誰もそれを知る由もなかった。

タイ料理をたらふく堪能した僕らは、体中の細胞に散りばめられた香辛料を紛らわせる為に、空港のラウンジに戻ってコーヒーを作り始める。ポコポコと音をたてながら、コーヒーメーカーは蒸気と共に良い香りのコーヒーを作り出す。すると、そんなコーヒーメーカーの頑張りに負けずと、機長の携帯電話も必死に音を鳴らす。

「はい、そうですが・・はぁ・・はぁ、えぇぇ????わかりました・・」と、機長。

「どうしたんですか?」少し様子がおかしい機長に聞く。

「会社からだ。お客さんの予定が早まって後20分程で到着されるぞ」と、機長。酷い。お客さんの予定変更はよくあることだが、いつもならもう少し前に連絡が来る。勿論、僕らは優雅にタイ料理を満喫して、コーヒーを入れただけなので出発の準備など何も終わっていない。始めてすらいない。正直、この瞬間からニューヨークに帰るまでの記憶がないと言っても過言ではない。いや、この話を書けている時点で記憶はあったのだろうが、僕たちはかなりパニクった。その苦労もあってか、空港の遠くの方に例の警備やパトカーの列が見え始めた頃には奇跡的に出発準備が整っていた・・・と、思っていた。

ん?おかしい。

コックピットの最終チェックをしていると、付くはずのスイッチが一つだけ付かない。熱いのか冷たいのかよくわからない、変な温度の汗が首筋をツーっと降りていく。この時の感覚は今でもちっとも色褪せない。すると、SPの人が一人コックピットに入ってくる。

「お客さんの準備が整いました。彼の乗った車両がもう間もなくこちらに到着されます。もうご搭乗されて大丈夫ですか?」

「ノーー・・・」(←現実を受け入れられない自分)

「わかりました。こちらに向かうように指示します」いやいや、聞こえなかったのかな?

「ノーー!!!ノーー!!!ノーー!!!」と、必死に制止する。この時、本当に「ノー」を3回連呼した。

「了解。理由は?」冷静なSP。しかも、理由って・・・

「こ・・・故障かもしれない部分が一カ所」力を振り絞って説明する。

「では、このまま車内に待機してもらいます」再び冷静なSP。

この場から逃げたい、小悪魔が余裕のない僕の心の隙間でささやく。でも、今はそんな小悪魔に構っている暇はない。現状を何とかしないと・・・ 僕はすぐに客室でお客さんを待っていた機長に事情を伝えて、会社を通じてこの空港の整備の人を呼んでもらう。幸い僕らの機体をすぐに点検してくれる整備士さんを手配してもらえた。何とかなりそうだ、と思ったのも束の間だった。なんでも、その整備士さんは丁度僕らがいる空港の駐機場とは反対側にいるとかで、僕らがいる場所までくるのに最低でも20分はかかると・・・ありえない。本当にありえない。これがラスベガスのカジノに行く、パーティーピーポーのお客さんだったらどんなに良かったことだろう、と思わずにはいられなかった。それでも、20分程すると一応無事に整備士さんが来てくれた・・・確かに、来てはくれたのだが僕はある一つの問題に気が付く。

来たのはたったの一人だった。

嘘でしょ・・・問題箇所をその整備士さんに伝えるとやはりもう一人必要とのこと。今すぐにもう一人の整備士さんを呼んでもらうように伝える。しかし、一難去ってまた一難とはこのことだろう。もう一人の整備士も、今は空港の反対側にいるんだとか・・・

「最新の状況を教えてください」ダブルパンチを食らってる僕に、SPがたたみかける様にプレッシャーを与えてくる。でも、落ち込んでる暇もない。実際に、コックピットから見える距離に何十台というパトカーが、僕らがこの事態をどうにか対処するまでずっと眩しい程の赤と青のサイレンをピカピカと光らせながら待機しているのだから。まるで、赤いサイレンの光が僕らに「ゲームオーバー」と言っているかのように。

プライベートジェットやチャーターの世界にも様々な種類のお客さんたちが存在する。優しい人もいるし容赦ない人もいる。そのお客さんたちの多くは、移動の時間を短縮させる為にお金を普通より少し多く払う訳で、時間が短縮されるどころか余計にかかったという場合は、やはり冷静ではいられない人が多かったように思う。なので、この時僕の目の前にはカンカンに怒ったお客さんが現れるのを覚悟していたし、会社に戻ったら何らかの処分すら受けるのではないかとも思っていた。旅客機の場合、乗客の怒りや感情はフライトアテンダントに向けられる場合が多いが、プライベートジェット機の場合はフライトアテンダントの数も少ないのでパイロットがそれをもろに受ける。この時、最終的に機体の修理が終わったのは、出発予定時刻を2時間ほど過ぎてからだった。僕は覚悟を決めてSPに搭乗準備が整ったと連絡する。ものの2-3分で黒塗りの車両が機体に横付けされて、お客さんたちが降りてくる。すると、階段を登ってきた「二人目の乗客」が、

「ありがとう。こんなに長い時間、努力してくれて。とても感謝しています」

と、言いながら両手で僕の手をぎゅっと握りしめてくる。彼の手から伝わってくる温もりが、トラブル続きでガチガチに緊張していた僕の心を溶かしてくれる。想像とは真逆の現実に少しだけ戸惑うが、素直に嬉しかった。こういう状況で、感謝をされたのは後にも先にもこの時だけだと思う。でも、浮かれ気味のこの頃の僕では、この貴重な体験の本当の意味を理解できていなかった。

毎回のフライトで、ほぼ「完璧」を毎回のフライトで求められる内に、気が付けば僕は、仕事の「結果」以外が何も見えなくなっていた。肝心の「誰の為に」「何を想って」仕事をするのかという部分を、すっかり何処かに置き忘れてきていた。そして、そんな僕をよそに終始しっかり大切なものが見えていた、この彼が一体どこの国の大統領だったのかはプライバシーの関係上ここでお伝えすることはできないけど、それ以上にこの時のことは、自分が向かっていきたい方向への道標ともいえる出来事だったので、それはしっかりと自分の胸にしまっておきたいと思う。

ここを舞台にわずかな時間で起きたドラマの数々・・・